「さて 来年の旅行はどこに行こうか?」
そんな私達の前に中国に旅行をしたときにお世話になったJTBのガイドさんから の手紙が目にとまる。
そこには
「ミャンマー 私はこの国を死に場所に決めました」
と書かれていた。
彼女の手紙ですべてが決定した。
「ミャンマー」
そう「ミャンマーに行こう」
旅の目的地はいつも単純なことから決定される。
「ミャンマーのツアーあるかしら」 お馴染みJTBのパンフレッド集めから開始!
1998年4月からのツアーは 1998年1月にならないと発表されないのでとにかくツアーがあるかどうかから 確認。
「おぉ あるある ミャンマーのツアー」
ベストセレクション ミャンマー周遊の旅 7(ヤンゴン・パガン・マンダレー)
「あとは新しいパンフレッドが発売されるのを待つばかりだ」
除夜の鐘を聞きながら心はすでにミャンマーへ・・・・・
「ところでミャンマーってどんな国?」
そう日本でミャンマーについて調べようと思ってもあまりにも情報が少ない
TVで話題になることは「軍事政権」
「アウン・サン・スー・チー女史」
のこと ばかり
イメージ的には「ダーティ」な報道が多い!
しかし日本でのイメージで現地に行くと大きく違っているということを実体験して いる私達にとってはあまり参考になりません。
「インターネットで調べよう」
「Yahooで検索」
「ミャンマー」
「おぉ結構あるな」
ディスプレイに出てくる金色の仏塔(パゴダ)、
茶色いパゴダが何百と顔を 覗かせている遠景
「おおおお なんという風景」
遺跡好きの心を大きく揺さぶる写真群に期待が膨らむ と共に大きな不安
「はたして ツアーは成立するのか?」
ミャンマーに行ってみようという酔狂な人はいるのだろうか?
あまりにもマイナーな選択に不安が付きまとう。
でも
「ミャンマー 私はこの国を死に場所に決めました」
この言葉の意味が知りたかった。
私達にはミャンマーしか頭になかったので ある。
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【ミャンマーの休日】 その2 ミャンマー旅行 催行保証
翌1998年1月下旬の土曜日 毎回お世話になっている伊勢丹浦和の旅行 代理店に出向く 「今度はどこの国ですか?」 顔なじみになっているお店の女性が声をかけてくる 「ええ ミャンマーに行こうと思いまして ...
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※この旅行記は、1998年に書かれたものです。
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