本記事は感情ではなく事実のみを整理します。
1945年8月14日〜15日、日本政府の降伏最終決定から玉音放送、宮城事件の未遂クーデターと鎮圧に至るまでを、時系列(JST)・場所・中心人物という3本柱で、公的アーカイブ等の記録に基づき解説します。
主要な情報源は国立国会図書館の年表・研究資料、宮内庁/NHK関連の技術・展示解説、国内外の百科事典・報道です。
目次
日本の一番長い日(1945年8月14–15日)とは
本記事は、終戦受諾の最終決定(御前会議)から玉音放送、宮城事件の鎮圧までを、一次資料に基づき事実のみで整理します。
時系列(JST)
- 8/10:御前会議で「国体護持」を条件に受諾決定。出典
- 8/14:最終受諾決定。夜に皇居内・宮内省内廷庁舎2階御政務室で玉音放送を録音(2テイク)。出典
- 8/15 未明:宮城事件(反乱側が皇居・放送会館の一部占拠)。近衛第一師団長・森赳中将が殺害されるが、東部軍管区が鎮圧へ。出典
- 8/15 正午:玉音放送(盤再生)を全国放送。出典
- 8/15 午後〜:鈴木内閣総辞職、翌16日に停戦下命。出典
主な場所
- 皇居(旧・宮城):録音場所(宮内省内廷庁舎2階御政務室)玉音盤は皇后宮職事務室の軽金庫に保管。
- NHK東京放送会館(千代田区内幸町2-2-3):反乱側の占拠対象となった放送拠点。
- 東部軍管区(第12方面軍):宮城事件の鎮圧を主導。
中心人物(役割)
- 昭和天皇:詔書朗読(録音)
- 鈴木貫太郎:首相として受諾を取りまとめ
- 東郷茂徳・米内光政:受諾派中枢
- 阿南惟幾:主戦派ながら「承詔必謹」で暴発抑止、15日未明に自決
- 田中静壱:宮城事件の鎮圧を指揮
- 森赳:近衛第一師団長。未明に殺害
- 畑中健二・椎崎二郎:反乱側の中心 放送阻止に失敗
録音と放送の技術的事実
- 録音は盤再生前提の円盤録音(アセテート盤)。長期保存には不向き。
- 録音は皇居内でNHK技術者が2テイク実施(8/14深夜)。
- 放送は8/15正午、録音盤の再生で実施。