「統計に使うためなら、あなたの病歴・実名・住所を、本人の同意なしで企業に渡せる」——そんな改正案がいま国会で審議されています。2026年4月7日に閣議決定された「個人情報保護法 改正案」の核心と、専門家が鳴らす警鐘を、できるだけ正確に読み解きます。
▼ 3行でわかる要点
① 「統計の作成だけに使う」と担保される場合、本人同意なしの第三者提供・要配慮個人情報(センシティブ情報)の取得が解禁される。
② 「統計」と整理できる AI(エーアイ)開発も対象に含まれうる。病歴などの機微情報も射程に入る。
③ 日弁連(日本弁護士連合会)はプライバシー・差別防止の観点から慎重審議を求める意見書を提出している。
いま何が起きているのか
2026年4月7日、政府は「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」を閣議決定し、同日、第221回特別国会(2026年2月18日〜7月17日の会期)に提出しました。これは個人情報保護法の「3年ごと見直し」と呼ばれる定期的な改正で、原案は独立機関である個人情報保護委員会(PPC/Personal Information Protection Commission)が取りまとめたものです。法案を国会に出したのは、自民党と日本維新の会による連立政権(高市早苗内閣)です。
改正は全部で12項目に及びますが、最も議論を呼んでいるのが、本記事で扱う「統計作成等目的による同意取得義務の免除」です。施行は、成立すれば公布から2年以内とされています。
改正案の核心 ——「統計利用なら同意は要らない」
現行の個人情報保護法では、次の3つは原則として本人の同意が必要です。
- 個人データの第三者提供(他の会社などに渡すこと)
- 要配慮個人情報(病歴・前科・人種・信条など、センシティブな情報)の取得
- 本来の目的を超えた利用(目的外利用)
改正案は、ここに大きな「例外」を設けます。「統計の作成にのみ使うことが担保されている」などの条件を満たす場合に限り、これらを本人の同意なしで認める、というものです。さらに、個人情報保護委員会の資料では「統計作成等として整理できる AI 開発」もこの枠に含まれうるとされています。複数の事業者がデータを持ち寄って横断的に解析したい、というニーズに応える狙いです。
| 論点 | 現行法(いま) | 改正案(これから) |
| 第三者提供 | 原則 本人同意が必要 | 統計作成のみに使うと担保されれば同意不要 |
| 要配慮個人情報の取得 (病歴など) |
原則 本人同意が必要 | 公開情報なら一定条件で同意不要 |
| AI 学習への利用 | 原則 本人同意が必要 | 「統計作成等」と整理できれば対象になりうる |
なぜ「病歴・実名・住所」が論点になるのか
ここが最大のポイントです。統計を「作る材料」として提供されるデータには、氏名・住所・病歴のように個人を特定できる情報がそのまま含まれうる点が問題視されています。最終的な「統計」は匿名の集計値ですが、その手前で受け渡される素材データは生のままになり得る——だからこそ漏えいや目的外転用のリスクがある、というわけです。
受け取り手も「大企業」だけではありません。条文上の「第三者」には、中小企業や個人事業者も含まれ得ます。「自分はホテルにもネット通販にも個人情報を渡している。それが知らないうちに別の会社の統計や AI 学習に回る」——そんな状況が、本人の関与なく成立しうるのです。
「海外へも渡る」のか —— ここは要・事実確認
⚖ ファクトチェック
SNS などでは「実名・住所・病歴が無制限に外国へ渡せるようになる」という強い表現も見られますが、これは正確ではありません。冷静に整理すると次のとおりです。
第一に、提供が認められるのは「統計の作成だけに使うことが担保される」場合に限られ、対象範囲は今後、個人情報保護委員会の規則(委員会規則)で「リスクの小さいもの」に絞り込まれる予定です。「何でもアリ」ではありません。
第二に、外国にある第三者への提供は、もともと法28条という別ルールで規律されています。統計目的の特例がこの「海外提供」にどこまで及ぶのか、どんな安全措置を要するのかは、法文と委員会規則に委ねられた部分が大きく、専門家が「適用範囲が不明確だ」と指摘している論点です。つまり「海外移転が当然に解禁される」と断定するのは早計で、逆に「絶対に渡らない」とも言い切れない——グレーゾーンの線引きが、これから省令・ガイドラインで決まるというのが正しい理解です。
この「重要な範囲を法律本体ではなく下位ルールに丸投げしている」構造こそが、後述する慎重論の核心でもあります。
推進側の言い分 —— AI・医療研究・データ利活用
政府・推進側にも理屈があります。いちいち全員から同意を取っていては、医療研究・創薬、都市計画、防災、感染症対策、そして AI 開発のような公共性・社会的価値の高いデータ活用が前に進まない、という主張です。特定の個人と結びつかない「統計」にしてしまえば、個人の権利を害するおそれは小さい——だから同意のハードルを下げてよい、という整理になっています。データを国際競争力の源泉と見る立場からは、世界に遅れないための規制緩和、という位置づけです。
慎重論 —— 日弁連は何を懸念しているか
一方、日本弁護士連合会(日弁連)は2026年4月16日付で意見書を取りまとめ、内閣総理大臣や国会あてに提出しました。主な懸念は次のような点です。
- プライバシーと差別防止の観点から、統計作成等の特例は慎重に検討すべき。
- 統計処理の過程で起きうる情報漏えいに対し、十分な安全措置を講じること。
- 病院などによる医療情報の研究利用は、本来医療分野専用の個人情報保護法を作って対応すべき。
「統計目的」という言葉は便利ですが、その境界はあいまいです。どこまでが「統計」で、どこからが事実上のプロファイリングや商用利用なのか——その線引きが緩ければ、本人の知らないところで機微情報が広く流通し、保険・与信・採用などで不利益(=差別的な扱い)につながりかねない、という危惧です。
「歯止め」はあるのか —— 規制強化の側面も
公平に見れば、今回の改正は「緩和一辺倒」ではありません。同じ法案には、むしろ規律を強化する項目も多く含まれています。
- 違反企業への課徴金制度(行政上の金銭的制裁)の導入
- 罰則の強化・拡大
- 16歳未満の子どもの個人情報の保護強化
- 顔特徴データ(顔認証用の生体データ)への新たな規律
問題は、これらの「歯止め」が、統計特例の緩和に見合うだけ十分に機能するか、そして肝心の対象範囲が委員会規則という後出しのルールに委ねられている点です。本体で守るべきラインを示さず下位ルールに任せれば、運用次第で緩くも厳しくもなる——ここがメディアでも十分に報じられていない、最も注視すべき構造です。
私たちは何を見るべきか
「便利なデータ社会」と「監視・流出のリスク」は表裏一体です。だからこそ、次の3点を継続して確認したいところです。
- 委員会規則・ガイドラインで「統計目的」と「海外提供」の範囲がどこまで絞られるか。
- 国会審議で、漏えい対策や差別防止の担保が条文に書き込まれるか。
- 自分のデータについて、利用停止やオプトアウトの請求がどこまで可能か。
まとめ
「統計利用なら同意不要」は誇張ではなく、改正案に実在する大きな転換です。病歴のような機微情報や、特定可能なデータが、本人の関与なく流通しうる余地が生まれます。一方で「無制限に外国へ」までは断定できず、肝心の線引きは委員会規則という“後出し”に委ねられている——だからこそ、これは「成立して終わり」ではなく、下位ルールと国会審議をこそ監視すべきテーマなのです。
<参考>個人情報保護委員会「個人情報の保護に関する法律等の一部を改正する法律案」(2026年4月7日 閣議決定・国会提出)/日本弁護士連合会 意見書(2026年4月16日)/専門法律事務所による改正案解説。本記事は2026年6月7日時点の情報に基づくもので、確定した事実と、条文・委員会規則に委ねられた未確定の論点を区別して記載しています。