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🟢 複数ソースで確認された事実 / 🟡 単一ソース・当事者や公的機関の主張 / 🔵 筆者による分析・評価
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「救急車を断った男」──サンフランシスコで実際に起きたこと
🟢 2023年7月、サンフランシスコでジャグディッシュ・ウィッテン氏(当時25歳)がランニング中に車にはねられました。彼は救急車を断り、友人の車で近くの病院へ向かいます。理由は明快で、「救急車は高いと知っていたし、死ぬとは思わなかった」から
ところが病院では「外傷」扱いとなり、市内唯一の外傷センターへの転院が義務づけられます。今度は選択の余地がありません。約6マイル(約10km)を救急車で移動し、追加治療もなくその日のうちに帰宅しました。
🟢 数か月後に届いた請求書は、救急搬送事業者アメリカン・メディカル・レスポンス(AMR)から。金額は12,873ドル(約208万円)でした。
| 請求項目 | 金額(ドル) | 日本円換算 |
| 基本料金(ベースレート) | 11,670 | 約189万円 |
| 走行距離分(約10km) | 737 | 約12万円 |
| 車内での心電図モニタリング | 314 | 約5万円 |
| 感染対策費 | 151 | 約2万円 |
| 合計 | 12,873 | 約208万円 |
🟢 加入していた保険会社は当初、「AMRはネットワーク外(アウト・オブ・ネットワーク)であり、事前承認もない」として支払いを拒否。異議申し立ての末に9,967ドル(約161万円)の負担に応じましたが、残る約2,900ドル(約47万円)は本人負担。取り立て会社に回されて信用スコアを傷つけられることを恐れ、彼は支払いました。
🔵 注目すべき点:彼は救急車を「選んで」いません。乗る病院も、運ぶ会社も、走る距離も。選択できないサービスに対して、事後に200万円の請求書が届く。これがアメリカの標準です。
実際いくらなのか? 米国救急車料金を日本円で見る
208万円は極端な例ですが、「平均」でも日本の感覚からすれば十分に異常です。
| 区分 | 米ドル | 日本円換算 |
| ビーエルエス(BLS=基礎的救命処置)搬送の平均請求 | 940 | 約15万円 |
| エーエルエス(ALS=高度救命処置)搬送の平均請求 | 1,277 | 約21万円 |
| 無保険者の請求額の目安(一般的なレンジ) | 500〜3,500 | 約8万〜57万円 |
| 保険加入者の自己負担レンジ | 250〜1,500 | 約4万〜24万円 |
| 飛行機による救急搬送(平均) | 24,507 | 約397万円 |
| ヘリコプターによる救急搬送(平均) | 30,446 | 約493万円 |
| 日本(消防の救急車) | 0 | 0円(税財源) |
🟢 2024年の世論調査では、アメリカ人の23%が「費用が心配で救急車を呼ばなかった経験がある」と回答しています。ウィッテン氏は例外的な変人ではなく、4人に1人の側の人間だったということです。
理由① 救急車は「タクシー」ではなく「オプションの売り手」である
ここが本記事の核心です。よくある説明は「強欲な民間企業と、それを買収したプライベート・エクイティ(PE=未公開株投資ファンド)が患者から搾取している」というもの。しかし🔵この説明は事実に合いません。米国の救急事業者は慢性的に赤字で、利益率は薄く、毎年撤退が相次いでいます。搾取した金が誰かのポケットを膨らませているなら、業界がこれほど破綻しているはずがない。
正しい理解には、金融の言葉を借りるのが早い。救急サービスとは、「救助を受けるオプション(Option=権利)」を売っている事業者です。
オプションとは、将来ある取引を行う「権利」を買い手に与え、売り手はそれに対応する「義務」を負う契約です。火災保険がまさにそれで、加入者は毎年少額のプレミアム(Premium=保険料)を払い、火事が起きたときに大きな支払いを受け取る権利を得る。保険会社は都合が悪かろうと払う義務を負う。
救急サービスも同じです。住民は「倒れたら救急車が来る」という権利を常時保有している。事業者はその義務を24時間365日負う。そして——ここが重要ですが——この義務を維持するコストのほとんどは、走った瞬間ではなく「待機している間」に発生します。基地、車両、待機している救急救命士の人件費。走行1回あたりの追加コストはほとんどゼロに近い。
🟢 稼働率のパラドックス
航空会社やタクシー会社は、高い固定費を「稼働率を上げる」ことで回収します。しかし救急サービスは断ることが許されないため、需要急増に備えて意図的に遊休キャパシティ(Capacity=余力)を抱えておく必要がある。適正稼働率はわずか30〜50%。これ以上上げると出動要請を取りこぼすリスクが跳ね上がります。つまり、通常の高固定費ビジネスの解決策が、構造的に使えないのです。
🔵 本来なら、火災保険と同じように「全住民から少額のプレミアムを徴収し、待機コストを賄う」のが正解です。全員が払うから、誰も高額を払わずに済む。実際イギリスや日本は税でそれをやっています。ところがアメリカは、そうしなかった。
理由② 1965年、メディケアが犯した"設計ミス"
🟢 20世紀のアメリカで救急搬送を担っていたのは、意外にも葬儀屋でした。当時、患者を寝かせたまま運べる長い荷台を持つ車は霊柩車しかなかったからです。葬儀屋は24時間営業で、装備はストレッチャーと毛布と酸素ボンベ程度。医療訓練を受けた人員などいません。それでも彼らは搬送をほぼ無料で提供しました。理由は単純で、本業である葬儀の顧客獲得のための「損失先導商品(ロスリーダー)」だったから。同じ車が同じ日に、病院への搬送と遺体の運搬をこなすこともありました。
🟢 そして1965年。アメリカ政府はメディケア(Medicare=高齢者向け公的医療保険)とメディケイド(Medicaid=低所得者向け公的医療保険)を創設します。両制度は「サービス1件ごとに事後に報酬を払う」フィー・フォー・サービス(Fee-for-Service=出来高払い)方式を採用し、そのサービス一覧に、ほとんど「ついで」のような扱いで救急搬送が加えられました。「1回運んだら1回分払う」——虫垂切除術と同じ扱いです。
🔵 当時の救急搬送が「霊柩車を近所まで走らせるだけ」の安価なサービスだったことを考えれば、この判断は不合理ではありませんでした。問題は、その直後に救急医療の中身が激変したことです。
| 年代 | 起きたこと |
| 1960年頃 | ジョンズ・ホプキンス大学で心肺蘇生法(CPR)が確立 |
| 1965年 | 携帯型除細動器が登場。同年、メディケアが「1回いくら」の支払い方式を法制化 |
| 1966年 | 全米科学アカデミーが報告書を公表。「ベトナムで重傷を負った兵士のほうが、米国の街路で重傷を負った運転者より生存率が高い」と指摘 |
| 1973年 | 救急医療サービス法が成立。約300の地域イーエムエス(EMS=救急医療サービス)体制に資金投入 |
| 1980年代 | 葬儀屋が撤退。消防が救急事業に本格参入 |
| 2020年 | 米国の消防出動のうち64%が救急関連、火災はわずか4%に |
🔵 訓練された救命士、高価な医療機器を積んだ車両、24時間稼働の待機拠点。コスト構造は「低固定費」から「超高固定費」へと180度転換しました。ところが支払い方式は1965年のまま、一歩も動いていない。この不一致こそが、すべての元凶です。待機のコストを、走行の請求書で回収せざるを得ない。
理由③ コストを払わされるのは「民間保険加入者」だけ
では、その高い固定費を誰が払うのか。ここで話はさらに歪みます。
| 支払い主体 | 実態 | 事業者の採算 |
| メディケア(高齢者) | 2002年以降、政府が全国一律の報酬上限を設定。搬送1件の平均提供コスト2,673ドル(約43万円)に対し、支払いは約329ドル(約5.3万円) | 大赤字 |
| メディケイド(低所得者) | 州の裁量。メディケアよりさらに低い水準が一般的 | 大赤字 |
| 無保険者 | 値引きなしの満額請求。ただし低所得層が多く回収不能率が高い。債権は二束三文で取り立て業者へ売却 | 実質赤字 |
| 民間保険加入者 | 唯一「取れる」相手。上記すべての赤字と、待機体制の固定費を、ここから回収するしかない | 回収源 |
🟢 メディケア・メディケイドでは、不足分を患者に請求する「バランス・ビリング(Balance Billing=差額請求)」が法律で禁止されています。つまり事業者は、赤字を飲み込むしかない。
🔵 火災保険に例えるなら、こうです。保険料をタダで配っておいて、消防署の運営費の全額を「たまたま家が燃えた運の悪い1人」に請求する。保険の原理の、完全な裏返し。しかもその「運の悪い1人」は、民間保険に入っている人に限られる。
なぜ「ネットワーク外」なのか──交渉が成立しない構造
通常の医療なら、保険会社は病院にこう持ちかけます。「割引価格を受け入れてくれ。その代わり、うちの加入者をあなたの病院に誘導する」。これがネットワーク契約の基本です。
🔵 ところが救急車には、この取引が成立しません。保険会社は救急車に患者を「誘導」できないからです。救急車は通報のあった場所へ行くだけ。保険会社が差し出せるものが、何もない。事業者から見れば、ネットワーク契約とは「見返りゼロの値下げ」でしかない。
🟢 結果:米国の地上救急搬送のうち、約80%がネットワーク外(アウト・オブ・ネットワーク)として保険会社に請求されている。
🟢 事業者は自ら価格を決め、保険会社は「妥当と思う額」だけ払い、差額の請求書が患者のもとへ届く。年間およそ300万人の民間保険加入者が救急搬送を受け、そのうち約半数がネットワーク外請求を受け取ります。医療のどの分野にもない異常な比率です。
サプライズ請求と、救急車だけが除外された法律
患者の知らないうちにネットワーク外の医療者に治療され、後から差額を請求される。これをサプライズ・ビリング(Surprise Billing=不意打ち請求)と呼びます。
🟢 2020年、米議会は「ノー・サプライズ法(No Surprises Act)」を可決し、救急医療のほぼ全域でこれを禁止しました。ただし地上救急車だけは、明確に対象外とされました。
🔵 議会が忘れたのではありません。規制すれば、救急事業者の多くが即座に破綻するからです。民間保険加入者への請求こそが、待機体制の固定費を賄う唯一の収入源。それを封じれば、待機コストを誰も払わなくなる。
| 対策 | 結果 |
| ニューヨーク州(2015年) 「保険会社は請求額に近い額を払え」 |
価格を決めるのは事業者自身。保険会社は言い値を払い、そのコストは保険料に転嫁。搬送価格は13%上昇した |
| 請求額に上限をかける | 待機コストの支払い手が消滅し、救急事業そのものが成立しなくなる |
| 規模拡大でコストを薄める | 政府説明責任局(GAO)の調査では搬送1件あたりコストは高稼働で224ドル、低稼働で2,204ドルと10倍の開き。ただし最大手AMRですら薄利・高債務、かつての2位企業は2013年に経営破綻 |
🔵 誰も得をしていません。保険会社は交渉していない額を払わされ、事業者は世界一高い料金を取りながら倒産寸前で、患者は救急車を断るか、破産的請求を受け取る。そして米国の地方では、最寄りの救急拠点まで25分以上かかる「救急車砂漠(アンビュランス・デザート)」が広がり続けています。
アメリカの医療保険制度を5分で整理する
日本の国民皆保険と違い、アメリカには「全員が入る1つの制度」がありません。継ぎはぎのモザイクです。
| 制度 | 対象 | ポイント |
| 雇用主提供保険 | 現役世代の最多数派 | 会社が保険料の大半を負担。転職・失職で無保険に転落するリスク |
| メディケア | 65歳以上 | 連邦の公的保険。ほぼ全高齢者をカバー。政府が報酬額を一方的に設定 |
| メディケイド | 低所得者 | 連邦・州の共同事業。州によって拡大の有無が違い、不採用州では無保険率がほぼ倍 |
| エーシーエー(ACA)市場 | 自営業・無職など | 通称オバマケア。補助金付きで個人が購入。拡充補助金は2025年末で失効 |
| 無保険 | 全人口の約8% | 🟢 約2,600万人規模。病院の「言い値」(チャージマスター価格)を満額請求される |
保険に入っていても、日本人が想像するほど守られない
🟢 米国の民間保険には、日本にはない3つの関門があります。
| 用語 | 意味 |
| ディダクティブル (Deductible=免責額) |
この金額に達するまで保険は1円も払わない。雇用主提供保険の平均は年1,886ドル(約31万円) |
| コインシュアランス (Coinsurance=定率負担) |
免責額を超えた後も、入院費の20%程度を自己負担し続ける |
| 自己負担上限 (Out-of-Pocket Maximum) |
2026年のACA基準では個人9,200ドル(約149万円)。ここまでは払う可能性がある |
🔵 日本の高額療養費制度(多くの現役世代で月8〜9万円程度が上限)と比べると、桁が違います。しかも救急車の差額請求は、この上限の外側から飛んでくることがある。
虫垂炎(盲腸)だといくらか
救急車だけの話ではありません。搬送先の病院で待っているのが本番です。虫垂炎は米国で年間30万件以上の手術が行われる、最も一般的な緊急腹部手術です。
| ケース | 米ドル | 日本円換算 |
| 🟡 無保険での平均支払額(142病院の集計) | 約10,300 | 約167万円 |
| 🟡 緊急虫垂切除の請求総額(一般的なレンジ) | 20,000〜50,000 | 約324万〜810万円 |
| 🟡 虫垂が穿孔(破裂)した場合 | 100,000超 | 1,600万円超 |
| 🟡 保険加入者の実質自己負担 | 1,500〜5,000 | 約24万〜81万円 |
🟢 実例:無保険の退役軍人が受け取った請求書
コロラド州のシャノン・ハーネス氏は無保険のまま虫垂炎を発症。合併症で2度の手術を受け、請求額は80,232ドル(約1,300万円)。彼は勤務先に保険制度がなく、ACA市場のプランは月350ドル(約5.7万円)で、払える額ではありませんでした。数か月の交渉を経てもなお、保険会社が通常支払う額よりはるかに多い金額を負っています。
※無保険者が「値引き前の言い値」を請求される構造は、救急車と全く同じです。
🔵 なお虫垂炎の手術自体は、ノー・サプライズ法の保護対象です。執刀医や麻酔科医がネットワーク外でも、差額請求は原則できない。守られていないのは、そこに至るまでの「救急車」だけ。制度の穴が、どこに空いているかがよくわかります。
日本はどうなのか──「無料」の裏側で起きていること
🟢 日本の救急車は消防が運営し、費用は税で賄われます。つまり日本は、前述した「全員が薄く払うプレミアム方式」を、税というかたちで採用している。冒頭で述べた"正解"を、すでにやっているわけです。イギリスも同様。オーストラリアのビクトリア州は、年約70ドル(約1.1万円)の会員制で運用しています。
ただし「無料」には副作用があります。価格シグナルがゼロなので、需要が抑制されない。近年、日本でも救急搬送は増え続け、現場は逼迫しています。
| 動き | 内容 |
| 三重県松阪市 2024年6月〜 |
市内の基幹3病院に救急搬送されたが入院に至らなかった軽症者から、選定療養費として1件7,700円を徴収 |
| 茨城県 2024年12月2日〜 |
県内22病院(後に23病院)で、救急要請時に緊急性が認められない場合に選定療養費を徴収。全国初の県単位導入 |
| 🟢 茨城県の1年後 検証結果 |
県全体の救急搬送は13万8,705件で前年比4.2%減(近隣5県は1.1〜3.8%増)。うち軽症等は14.3%減、一方で中等症以上は4.6%増。対象病院の搬送8万2,289件のうち、実際に徴収されたのは2,840件 |
🔵 数字を素直に読めば、「軽症の呼び控えは起きたが、重症は減っていない」という、政策としてはかなり良好な結果です。ただし報道の「救急車有料化」という見出しは正確ではありません。徴収するのは自治体ではなく病院で、法的には選定療養費(紹介状なしで大病院を受診した際の追加負担)の枠組み。緊急性が認められれば1円も取られません。
🔵 それでも注意が必要です。アメリカの教訓は「価格シグナルを患者の側に置くと、必要な人まで呼ばなくなる」ということでした。日本の選定療養費は金額が小さく(7,700円程度)、緊急性があれば免除される設計なので米国とは別物ですが、「呼び控えによる重症化」は常時モニタリングされるべき指標です。迷ったら#7119(救急安心センター)へ。
忖度なしの結論
🔵 アメリカの救急車が高いのは、悪人がいるからではありません。1965年に「救急搬送を、虫垂切除と同じ"出来高払いの医療行為"として扱う」と決めた、たった一行の制度設計が原因です。
その後、救急医療は「待機こそが商品」の超高固定費ビジネスへと変貌した。にもかかわらず、支払い方式は「走った回数」に紐づいたまま。この60年間の不整合が、以下すべてを生みました。
🔵 解決策は、実はシンプルです。オプションの対価は、オプションを保有する全員から少額ずつ徴収する。税でも、会費でも、公共料金への上乗せでもいい。実際オクラホマ州タルサ市などでは、住民が公共料金に月数ドルを上乗せして払い、救急車が来ても追加負担ゼロという仕組みが機能しています。
要するに、日本がとっくにやっていることです。
🔵 筆者も過去2回、救急車に運ばれました。請求書は来ませんでした。それを「当たり前」と思っていましたが、当たり前ではない。世界最大の経済大国では、路上に倒れた人間が電卓を叩いてから助けを呼ぶかどうかを決めている。待機のコストは、誰かが必ず払わなければならない。それを全員で払うか、運の悪い1人に押し付けるか。制度設計とは、そういうことです。
主な参照元
David Oks "Why American ambulance rides are so expensive" (2026年7月) / KFF Health News・KFF Health System Tracker / FAIR Health / YouGov(2024年調査) / EMS1 / 米国政府説明責任局(GAO) / 米国国勢調査局・CDC / NPR / 茨城県保健医療部「救急搬送における選定療養費の徴収に関する検証結果」 / 日本経済新聞
※金額はいずれも公表データに基づく目安であり、州・事業者・保険プランにより大きく変動します。為替は1ドル=162円で換算。