「原油は確保した」「ナフサは足りている」「問題は目詰まりだ」
高市政権はこの3点セットを繰り返す。だが、工事現場では材料が届かず、スーパーの棚からゴミ袋が消え、プリンの容器さえ品薄になっている。政府発表と生活現場の間に何が起きているのか。データと現場の声をもとに検証する。
なぜナフサが不足するのか ── Supply Chain の構造的脆弱性
2026年2月28日、米国・イスラエルによるイラン攻撃を契機にホルムズ海峡が事実上封鎖された。日本の原油輸入の約90%、ナフサ輸入の約74%がこの海峡を経由する。原油には国家備蓄(約250日分)が存在するが、化学原料としてのナフサに国家備蓄制度はなく、民間在庫はわずか約20日分という薄氷の上で運用されてきた。
ナフサ(Naphtha)とは原油精製で得られる軽質留分(沸点30〜180℃)であり、プラスチックのもとになるエチレン・プロピレン・ブタジエンなど基礎化学品の製造に不可欠な「石油化学のコメ」だ。一度ナフサが滞ると、川下の製品は際限なく影響を受ける。
| 原料レイヤー | 主要品目 | 影響を受ける最終製品(例) |
| ナフサ(Naphtha) | 原油の約10% | 全石油化学製品の起点 |
| エチレン(Ethylene) | ナフサ分解の約30% | ポリ袋・食品トレー・水道管・ゴミ袋 |
| プロピレン(Propylene) | ナフサ分解の約20% | 自動車部品・医療器具・食品容器 |
| ベンゼン / トルエン | 芳香族系 | シンナー・塗料・接着剤・エンジンオイル添加剤 |
| ブタジエン(Butadiene) | 合成ゴム原料 | タイヤ・Oリング・パッキン・ホース |
「4カ月分確保」という数字のトリック
高市首相はホルムズ危機以降、「ナフサ2カ月分+川中製品2カ月分=計4カ月分確保」と繰り返してきた。しかし、資源エネルギー庁の有識者委員を務める境野春彦氏はこの数字に明確に異議を唱えた。
「ナフサから分解された基礎化学品以降の『川中製品』の在庫2カ月分をナフサ自体の2カ月分に単純に加えており、正確な表現ではない。いまでは『詰む』という表現では甘かったと思っている。既に現実として現場に不足が生じている」
── 境野春彦氏(コネクトエネルギー合同会社代表、資源エネルギー庁有識者委員)/東京新聞取材より
さらに首相がXで「事実誤認」と反論したのはテレビ番組での専門家の発言に対してだ。識者の警告を首相自身がSNSで封じ込めようとした、この構図自体が問題である。
| 項目 | 政府の説明 | 専門家・現場の指摘 |
| 在庫量 | 「4カ月分確保」 | 川中製品を混算。ナフサ単体は2カ月分程度 |
| 流通停滞 | 「一部の目詰まり」 | 品種・仕様ミスマッチで全国的に現物不足が恒常化 |
| Naphtha価格 | 「代替調達で確保」 | 2026年5月に125,103円/kLと約2倍に急騰。作るほど赤字の「逆ざや」状態 |
| エチレン Planta 稼働 | 「安定稼働継続」 | 国内12基中フル稼働はわずか3基(4月初旬時点) |
現場から届く「SOS」── 職人・工場・スーパーの現実
「量はある」という政府発表と、「現物が届かない」という現場の声は、今や埋めようのない溝となっている。
🔨 建設・塗装業界
シンナー・塗料・接着剤が入手困難。日本塗装工業会は国土交通省に供給確保を緊急要望。「政府発表と現場の Supply Chain には大きな乖離がある」と訴えた。TOTOやLIXILも新規受注を一時停止。
🚗 自動車整備業界
シンナー不足で「5月下旬に整備停止も」と車体整備連合会の会長が公言。エンジンオイル添加剤・合成ゴム系パーツも逼迫。
🛒 食品・日用品
納豆容器・豆腐パック・マヨネーズ容器が品薄。ゴミ袋・食品トレー・包装フィルムが店頭から消えつつある。宅配企業は「中身はあっても容器がなく出荷できない」と匿名で告白。
🏥 医療・住宅
医療優先の供給ピラミッドにより、リフォーム・建材は後回し。塩ビ管・断熱材・塗料がそろわず工事完了できないケースが続出。
「目詰まり」という言葉が隠しているもの
政府は流通不足の原因を「一部の目詰まり」と片付ける。しかし、専門家の分析では目詰まりが発生する理由は4層にわたっている。
- マクロ・ミクロ乖離:政府が「量は確保」と言っても、企業が必要とする品種・規格のナフサが届かなければ既存設備では製品を作れない。
- 価格高騰による逆ざや:三菱ケミカル・三井化学・出光興産など主要メーカーがエチレン生産を抑制しているのは、原料が高すぎて作るほど赤字が膨らむからだ。補助金なしでは量があっても生産が回らない構造的矛盾がある。
- 川中情報のブラックボックス化:商社・卸・中間加工の在庫データは集約されにくく、買い溜めや偏在が見えにくい。地方・小規模需要家ほど後回しになる構造。
- Supply Chain の多段階細分化:ナフサ→基礎化学品→中間材料→最終製品の各工程で異なる企業が関与し、上流の「量は確保」が川下まで届くとは限らない。
要するに:「量はある」は「必要な形で現場に届く」を意味しない。
政府がこの構造的乖離を「目詰まり」の一言で済ませている間、中小企業の経営危機・倒産件数は増え続けている。
言論への圧力 ── 「聞きに行く」という恫喝
今回の危機で特に問題視されるのが、政権による情報統制ともとれる動きだ。
- 専門家がテレビで警告を発すると、高市首相は翌日にXで「事実誤認」と名指しに近い形で反論。これを受け当該識者はさらに踏み込んだ批判を展開せざるを得なくなった。
- 業界団体が「足りない」と記者会見で発表すると、翌日に「前言を翻して足りている」と訂正する事例が複数報告されている。その背景に「事情を聞きに行く」という行政指導があるとの見方が根強い。
- 政府は「大量発注・買い占めをしないよう関係業界に周知」という指示まで出した。これは言い換えれば、「足りないと声を上げると締め付けられる」という空気を醸成しかねない。
過去のオイルショックでも同様の構図があった。しかし、SNSが普及した2026年に「反論した識者をXで封じる」という手法は、情報の透明性を求める民主主義の原則と真っ向から対立する。
国民生活に直撃 ── インフレ と「物が消える」二重苦
ナフサ価格は2026年3月の2週間で1トンあたり600ドル台後半から1,100ドル前後へと急騰。国産ナフサ価格は5月時点で125,103円/kLと前年比約2倍に達している。この Cost Push は川下の製品すべてに転嫁される。
| 影響品目 | 状況 | 生活への打撃 |
| ゴミ袋・ポリ袋 | 入手困難 | 日常生活・ゴミ処理に直撃 |
| 食品容器(プリン・豆腐・納豆) | 品薄・出荷停止 | 「中身はあるのに売れない」 |
| シンナー・塗料 | 急騰・品薄 | 建設・自動車整備が停滞 |
| 接着剤・エンジンオイル | 入手困難 | 職人・工場が経営危機 |
| 日用洗剤・化粧品容器 | 値上げ予告続出 | 家計を圧迫 |
企業の44%が「既に影響が出ている」と回答した生団連調査も存在する。収入が上がらないなか、物価だけが急騰する ── これがナフサ・ショックが引き起こした現実の Stagflation だ。
高市政権・自民党は何をしていたのか
公平を期すために言えば、政権が何もしていないわけではない。国家備蓄の追加放出(累計65日分)、緊急タスクフォースの設置、米国・アルジェリア・ペルーなどへの代替調達の拡大、医療物資の優先配分調整なども実施された。
しかし問題は政策の中身より、その発信の姿勢にある。
- 具体的な数字を出さない:「何割確保できているか」「実際の輸入量がどう変化したか」という詳細データが政府から自発的に開示されたことはほとんどない。
- アドバルーン→撤収のパターン:識者や業界団体が不足を訴えると翌日に前言を翻す事例が繰り返されている。これは情報の信頼性を根本から損なう。
- 根本問題への手当がない:ナフサ備蓄制度の創設、Supply Chain の多様化投資、エタン活用など代替原料への構造転換──これらは長年の課題だったが、今回の危機でも「代替調達を倍増」という応急措置にとどまっている。
確かなのは、国民の生活が苦しくなっているという事実だ
「足りている」と言い続ける政府。しかし工事は止まり、棚からモノが消え、値上げ予告が積み重なっている。
支持率が高いこと自体が不思議ではある。だが、それはおそらく「他に選択肢が見えない」という絶望の裏返しでもある。野党が有効な対案を提示できない現実もまた、この国の政治構造の問題だ。
問われるべきは3点だ。
①なぜナフサに国家備蓄がないのか ── 数十年にわたる政策の怠慢
②なぜ「量はある」「目詰まりだ」という抽象論しか出ないのか ── 透明性の欠如
③なぜ警告を発した専門家をSNSで封じようとするのか ── 言論への圧力
これらはすべて、同じ問いに行き着く
「この政権は、国民の生活より政権の体裁を優先していないか」
参考情報:日本経済新聞、東京新聞、時事通信、Bloomberg Japan、女性自身(Yahoo!ニュース)、野村総合研究所(木内登英コラム)、日経ビジュアルデータ「ナフサ供給網解説」、石油化学工業協会資料(2026年4〜5月)
本記事は公開情報をもとに筆者の見解を加えた Opinion Column です。