今度のレストランは豪華であった。(マンダレーにくらべてですが)
通された部屋は円卓を囲んだ個室である。
制服を着た給仕の人が3人ぐらいつきっきり 落ち着かないなぁ!
個室は湖に面していて遠くに金色に輝くパゴダがライトアップされている。
「明日行く シュエダゴォンパゴダです。」
遥か遠く 湖と森に囲まれたそのパゴダは神々しいものであった。
料理が次々と運ばれてくる。
当然ビールは「ミャンマービール」
「セインさんは東京にいたのですか?」
ここからセインさんの話がはじまる。
「はじめて日本に行ったのは冬でした。ミャンマーと同じ格好をしていったらあまりにも寒かったのを覚えています。」
たしかにミャンマーと比べれば日本は寒いと思われる。
「高田馬場でカレー屋につとめていたんですがあんまり辛くなかったのでミャンマーと同じ味付けをしたら 辛くて全然売れなかった」
という話や
「稼いだお金を特殊なルートでミャンマーに送金した話」
とか
「一番お金になったのは工事現場だったとか」
セインさんも懐かしそうに話していた。
「ミャンマーではインターネットは見られるのですか?」
「いや ミャンマーでは一部の人しか見ることができません」
そうか 残念だなぁ セインさんはこの原稿やホームページを見ることができないのか・・・
食事も終わり雑談に話が咲いているとき 天井からつり下げられているTVに軍の偉い人が写っていた。
映像によると何かの式典らしい。
ホテルに戻るため個室を出る。
大きなレストランのホールではカラオケをやっている。
セインさんに聞くと お金を払って歌を壇上で歌うのだそうである。
空を見上げると満点の星が輝いていた。
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【ミャンマーの休日】 その41 どんだけ宝石あるんだよ シュエダゴォンパゴダ
1998年5月6日 ミャンマーの旅も今日で終わりである。 飛行機が夜なので 今日一日 首都ヤンゴン観光になります。 最終日は、いつも朝が遅い。 毎日 熱帯の太陽の下で動き回ると体力が予想以上に消耗して ...
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※この旅行記は、1998年に書かれたものです。
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