第7話 飲み会 ~太陽の匂いがする女
新宿のバーでバイトをし、大学に通い、アパートに帰る。
その繰り返しが、静かに続いていた。
大学に友人はほとんどいなかった。深夜バイトのせいで講義はつらかったが、講義そのものは好きだった。専攻は考古学。就職には不利だとわかっていた。それでも、大学の四年間くらいは好きなことを勉強したかった。
基礎講義の二年が終わり、専門の二年が始まっていた。歴史考古学の教室は女子が多い。大学を就職予備校と考えている連中は経済学部などに流れる。会社では役に立たない歴史考古学に女性が多くなるのも、納得できる話だった。
これまでバーのバイトがあるため、飲み会には一度も顔を出さなかった。だが、斉木教授が来ると聞き、珍しくバイトを休んで出席することにした。
飲み会は渋谷の居酒屋だった。
「神原さんが飲み会に来るなんて珍しい」
同じ教室のナツコが声をかけてきた。ボーイッシュで背が高く、名前が示すように明るい性格の女の子だ。親戚が経営する海の家でバイトをしているらしく、日焼けした肌がつやつやと輝いている。
「いつも断ってるからな。たまには顔出さないと忘れられる」
ナツコは試験前にノートを貸してくれる、大学の生命線のような存在だった。
「神原さん、バーでバイトしてると聞いたけど?」
「あれ? よく知ってるね」
「教室のみんなが話してるよ。急に大人の男っぽくなったって」
「夜のバイトで大人の接客してるからね」
ナツコは「夜のバイト」という言葉に反応した。大きな瞳がきらきらと輝く。
「今度、お店に行っていい?」
「学生が来るところじゃないよ。夜の歌舞伎町はかなり危ないし」
昭和の夜の歌舞伎町は、今のように若い人が安心して遊べる場所ではなかった。空気そのものが、どこか危うい匂いを漂わせていた。
「ええ、つまんない。じゃあ昼にデートしよ」
積極的なナツコだ。
「海行こうよ、海」
大学の講義以外は夜の新宿しか知らない生活が続いていた。きっと太陽がまぶしいだろうな、と思った。ナツコならば、怪しい関係にはならないだろう。
「いいよ。臨時収入が入ったから、遊びに行けるよ」
「楽しみ。昼の世界に連れ戻してあげる」
どこまでも明るいナツコであった。
「おい、神原。教授が呼んでるよ」
遠くからの声に、斉木教授の席へ向かう。
「先生、ご無沙汰しております」
「神原くん。バイトで大変なのにきちんと講義に出てるね。身体は大丈夫かな」
斉木教授は考古学会の重鎮で、多くの書籍を残している人物だ。しかし気さくな感じで、学生にもよく声をかけてくれる。
「バイト先の人も事情を知ってくれているので、助けてもらってます」
子供の頃から本ばかり読んでいた。そんな自分に親父は科学雑誌を買い与えてくれ、小学生になる頃には太陽系や地球の構造、歴史、宇宙などの知識をスポンジのように吸収していた。やがて歴史に興味を持ち、その中で斉木教授のことを知り、考古学を知ってこの大学を目指したのだ。
「授業料なら、君なら特別奨学金ももらえるかもしれないから、申し込んだほうがいい。私が学校に推薦するよ」
教授は、父親を失って金銭に困っているのを知っていた。
「先生、ありがとうございます。ちょっと考えます」
「君は学業の成績もいいし、考古学への情熱もある。もっと実際に発掘現場で経験を積んでほしいな」
ありがたい話だった。
教授と話が終わると、ナツコが近づいてきた。
「神原さん、最近クラスの女子から噂されてるよ」
好奇心旺盛なナツコは楽しそうだ。
「なんて言ってるの?」
「なんか、ヤバい仕事してるんじゃないかって」
へへっ、とナツコが笑う。
「ヤバいってどんな仕事?」
「ホストとか?」
二十歳の女子大生の考えることは、今とはかなり違っている。
「それはないわ。バーの下働きだよ」
嘘は言っていない。
「なんだよ、お前ら付き合ってんのか?」
クラスで唯一の友人とも言えるユウスケが割り込んできた。
「こいつさぁ、俺にもバイト先教えねぇんだよ」
ユウスケは、大学でたまたま席が隣だったことで話すようになった。お互い深く詮索しないところがいい感じだ。
「深夜の歌舞伎町は危険だからな。それに学生が来るところじゃないから」
バーの顧客は、訳あり常連と水商売、やばい系の人たちがほとんどだ。しかし、自分に対してはやさしく接してくれる人が多い。おそらくマスターが睨みを利かせているからだと思う。
「まぁやばいとこには近づかないのが一番だよな」
ユウスケが笑う。
「ところで、夏休み実家帰るのか?」
実家は母親と兄夫婦がいるが、兄とは親父が死んだとき揉めた。帰りたくない。
「墓参りには帰るけど、すぐ戻って来るよ。バイトもあるし」
「休み取れたら、軽井沢に遊びにいかないか?」
ユウスケの親御さんの知り合いがペンションを経営していて、空いているならば泊まれるらしい。令和の時代と違い、軽井沢といえば『軽井沢シンドローム』なんてコミックがあるぐらい人気スポットだった。
「マスターに聞いてみるよ。たまには学生らしいことしてみたい」
歌舞伎町のバーでバイトをはじめた頃は、童貞で世間知らずの、田舎から出てきたただの学生だった。縁あってレイコさんと出会い、サトミ、ヨウコと三人の女性と関係を重ねることになり、特にレイコさんは自分に性技を教えてくれている。ヨウコは初めての男となったが、一夜限りの関係で、訳ありの「誰かの依頼で仕事として謝礼をもらうセックス」だった。
たった数ヶ月だけど、年上のレイコさんから性技を習い、新宿のバーというある意味魔界で仕事をしている。同世代の学生からすると、すでに世界が違って見えていた。同じ考古学教室で学ぶ同世代の学生とは、雰囲気が違うのは当たり前だろう。
「神原さんが行くなら私も行く」
酔っ払ったナツコが、自分に身体を寄せて呟く。
「俺も彼女連れて行くから、二組で行こう」
ユウスケは酔っ払ったナツコと自分を見ながら、にやにやと笑った。
「クルマはどうするか?」
とユウスケ。
「ちょっとアテがあるので聞いてみるよ。運転は俺がやるよ」
「そうか。俺ペーパーなんで助かるわ」
ユウスケは安心したように、
「詳しくはまた話そう」と別のテーブルに去っていった。
ナツコは私の肩ですやすやと眠っている。
ナツコ、そして運命の女性・リョウコとの出会いが、静かに近づいていた。