忖度なし・保存版
岡本公三、ベイルートに死す ―― 日本のメディアが語らない「昭和の赤いテロ」の全記録
2026年7月23日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、日本赤軍の元メンバー・岡本公三(おかもと・こうぞう)が中東レバノンの首都ベイルートで死亡したと発表した。78歳だった。日本の報道の多くは「死亡」の一報にとどまり、彼が何者で、何をした人物なのかを深く伝えていない。本稿では海外の一次情報をもとに、岡本を生んだ「赤軍」の系譜と、彼らが国内外で起こしたテロ事件を、時系列で徹底解説する。
【本記事の信頼度ラベル】
🟢 複数の一次情報で確認された事実 / 🟡 単一ソースまたは当局・組織の主張 / 🔵 編集部の分析・見解
岡本公三とは何者だったのか
🟢 岡本公三は熊本県出身。鹿児島大学の農学部生だった24歳のとき、1972年5月30日、イスラエルのテルアビブ郊外にあるロッド空港(現ベングリオン空港)で銃を乱射し、26人を殺害、約80人を負傷させた。世に言う「テルアビブ空港乱射事件(ロッド空港事件)」である。
🟢 実行犯は岡本を含む日本赤軍の3人。残る2人、奥平剛士(おくだいら・つよし)と安田安之(やすだ・やすゆき)はその場で死亡し、岡本のみが生き残って拘束された。彼は今回の死去により、この事件の実行犯として最後の生存者だった人物でもある。
🟢 岡本はイスラエルで約13年間服役し、1985年の捕虜交換(ジブリル合意)で釈放された。その後イスラム教に改宗し、2000年にレバノンで政治亡命を認められる。PFLP内では「アフマド・アル=ヤバニ(=日本人のアフマド)」と呼ばれ、レバノンで唯一公式に認められた政治難民として晩年を過ごした。
🔵 編集部注:岡本の兄・岡本武(おかもと・たけし)は、後述する「よど号」ハイジャック犯の一人として北朝鮮へ渡っている。兄は北朝鮮の武装闘争、弟は中東の武装闘争。ひとつの家族が「赤い系譜」の両翼を体現していた事実は、日本ではほとんど語られない。
「赤軍」とは何か ―― 三つの組織を混同してはいけない
日本のニュースでは「赤軍」という言葉がしばしば一括りに使われるが、これは正確ではない。実際には性格の異なる三つの組織が存在した。まずこの区別を押さえることが、事件の理解の出発点になる。
| 組織名 | 性格と活動の場 |
| 赤軍派 (せきぐんは) |
すべての源流。1969年に新左翼組織から分裂。国内での武装蜂起を狙い、よど号事件を起こした。 |
| 連合赤軍 (れんごうせきぐん) |
赤軍派の一部と別組織が合流。日本国内の山岳地帯で同志を粛清し、あさま山荘事件で自滅した。 |
| 日本赤軍 (にほんせきぐん) |
重信房子が中東レバノンで結成。国際テロに転じ、岡本公三もこの組織に属した。 |
🔵 前提の整理:しばしば「赤軍派から日本の共産主義が始まった」という言い方がされるが、これは正確ではない。日本の共産主義運動そのものは日本共産党の結成(1922年)に遡る。赤軍派を起点とするのは、あくまで「新左翼の武装闘争路線」という一系譜である。本稿はこの武装テロの系譜に絞って整理する。
【時系列】赤軍派から連合赤軍、そして日本赤軍へ
この「赤い系譜」は、わずか数年のあいだに国内武装闘争から国際テロへと変貌した。その流れを年表で追う。
| 年月 | 組織・事件 | 概要 |
| 1969年9月 | 赤軍派 結成 | 新左翼組織「共産主義者同盟(ブント)」から分裂。塩見孝也(しおみ・たかや)が指導 |
| 1969年11月 | 大菩薩峠事件 | 武装蜂起を計画し山中で訓練中、多数のメンバーが一斉に逮捕され組織は弱体化 |
| 1970年3月 | よど号ハイジャック事件 | 田宮高麿(たみや・たかまろ)ら9人が日本航空機を乗っ取り北朝鮮へ。日本初のハイジャック |
| 1971年 | 日本赤軍 結成 | 重信房子(しげのぶ・ふさこ)が中東レバノンへ渡り結成。PFLPと連携 |
| 1971年7月 | 連合赤軍 結成 | 赤軍派(森恒夫)と革命左派(永田洋子・坂口弘)が合流 |
| 1971年末〜72年2月 | 山岳ベース事件 | 「総括」と称する内部リンチで同志12人を殺害。合計14人が犠牲に |
| 1972年2月 | あさま山荘事件 | 連合赤軍5人が長野県の山荘に人質をとって10日間籠城。全国生中継され連合赤軍は壊滅 |
| 1972年5月 | テルアビブ空港乱射事件 | 日本赤軍の岡本公三ら3人がロッド空港で乱射。26人死亡。国際テロへの転換点 |
| 1974〜77年 | 大使館占拠・ハイジャック連発 | 日本赤軍がハーグ、クアラルンプール、ダッカで人質事件を起こす。 |
源流① 赤軍派 ―― 国内蜂起から北朝鮮亡命へ
🟢 赤軍派は1969年、新左翼組織のブント(共産主義者同盟)から分裂して誕生した。塩見孝也を中心に「武装した前衛による世界同時革命」を唱えたが、その実態は銀行強盗や郵便局襲撃による資金調達に近いものだった。1969年11月の大菩薩峠事件で多数が逮捕され、組織は結成早々に追い詰められる。
🟢 追い詰められた赤軍派は「海外に拠点を築く」という名目で、1970年3月31日、田宮高麿ら9人が東京発福岡行きの日本航空351便「よど号」を乗っ取った。これが日本初のハイジャック事件である。犯人らは韓国・金浦空港で足止めされたのち北朝鮮へ渡り、そのまま亡命した。
🟡 語られない後日談:亡命した9人のうち、吉田金太郎・岡本武・田宮高麿の3人は北朝鮮国内で死亡したとされるが、その経緯には不審な点が指摘されている(岡本武の死は日本側で確認されておらず、現在も国際手配中)。北朝鮮政府は当初期待された軍事訓練を拒否し続け、赤軍派の「世界革命」構想は早くに頓挫した。
源流② 連合赤軍 ―― 同志を殺した「総括」の闇
🟢 1971年7月、赤軍派の残党(森恒夫が指導)と、別系統の武装組織「革命左派」(永田洋子・坂口弘が指導)が合流して連合赤軍が生まれた。この組織が起こした事件は、日本の戦後史でも最も陰惨なものの一つとして記録されている。
🟢 群馬県の山岳アジトで、彼らは「総括」と称する自己批判・相互批判を仲間に強要した。「革命戦士として不十分だ」とされた者は暴行や放置によって次々と殺されていく。1971年末から翌年2月にかけて、この内部リンチで殺されたメンバーは12人。組織を離脱しようとした者の殺害も含めれば、犠牲者は合計14人にのぼった。29人ほどの組織が、外部と一発も交戦しないうちに、自らの手で半数近くを失ったのである。
🟢 1972年2月19日、逃走した残党5人が長野県軽井沢の保養所「あさま山荘」に管理人の妻を人質にとって立てこもった。10日間に及ぶ籠城は連日テレビで生中継され、警察が突入した2月28日の中継は驚異的な視聴率を記録した。この突入で警察官2人が殉職。人質は無事救出された。事件後、山岳ベースでの同志殺害が明るみに出ると、世論は左翼運動そのものから急速に離れていった。
🔵 編集部の視点:連合赤軍が崩壊させたのは、自分たち自身だけではなかった。「革命」の理想がなぜ仲間への殺意に反転したのか ―― この問いは、閉鎖集団が正義を独占したときに何が起きるかという、時代を超えた警告として今も読み解かれるべきである。
本流 日本赤軍 ―― 世界を舞台にした国際テロ
🟢 一方、重信房子は1971年に中東レバノンへ渡り、パレスチナ解放闘争と結びついた日本赤軍を結成した。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)と連携し、日本国内ではなく「世界」を戦場に選んだ点が、他の二組織との決定的な違いである。以下は日本赤軍が海外で起こした主な事件だ。
| 年 | 事件 | 概要(一次情報ベース) |
| 1972 | テルアビブ空港乱射事件 | イスラエル・ロッド空港で乱射。26人死亡、約80人負傷。岡本公三が拘束。 |
| 1973 | 日航機ハイジャック(404便) | オランダ上空で乗っ取り。乗客解放後、機体はリビアで爆破された。 |
| 1974 | ハーグ・フランス大使館占拠 | オランダで大使館を襲撃し大使ら人質に。仲間の釈放と身代金を要求。 |
| 1975 | クアラルンプール事件 | 複数の大使館が入る建物を占拠し50人超を人質に。収監中の仲間5人を釈放させリビアへ。 |
| 1977 | ダッカ日航機ハイジャック(472便) | インド上空で乗っ取りバングラデシュへ。日本政府は収監者6人釈放と身代金600万ドルに応じた。 |
| 1986〜88 | 大使館攻撃・爆発物摘発 | ジャカルタの各国大使館に迫撃弾。米国内でも爆発物を持ったメンバーが摘発された。 |
🟢 特に1977年のダッカ事件で、当時の福田赳夫内閣は「人命は地球より重い」として超法規的措置に踏み切り、収監中のメンバー釈放と身代金支払いに応じた。この決定は「テロに屈した」と国際的な批判を浴び、日本のテロ対策の転換点となった。
🟡 ロッド空港事件・語られない犠牲者:海外の一次情報によれば、テルアビブでの犠牲者26人の多くは、キリスト教の巡礼のためにイスラエルを訪れていたプエルトリコ人だった。パレスチナ解放を掲げた攻撃で命を落としたのが、紛争と無関係の巡礼者たちだったという事実は、日本ではほとんど紹介されない。
【現在】彼らは今どこにいるのか
この「赤い系譜」は、決して過去に閉じた物語ではない。当事者たちの多くが、今なお生きている。
🟢 日本赤軍:2001年4月、公判中だった重信房子が獄中から「解散」を宣言した。しかし警察庁はこの解散をテロ組織としての本質を隠すための形式的なものとみており、危険性は失われていないとの見方を崩していない。重信自身は懲役20年の刑期を終え、2022年5月に出所した。一方で、いまなお7人のメンバーが国際手配され逃亡を続けている。
🟢 よど号グループ:北朝鮮に亡命した9人のうち、現在も存命なのは小西隆裕・魚本公博・若林盛亮・赤木志郎の4人とされる。彼らは日本人拉致事件への関与が疑われ、一部は結婚目的誘拐の容疑で国際手配されている。当人らは冤罪を主張し、帰国を求めてきた。
🟡 最新の動向:報道によれば、北朝鮮のよど号メンバーは2024年11月末を最後に日本の支援団体との通信が遮断され、その後消息不明の状態が続いていることが2025年に判明した。北朝鮮当局による措置とみられるが、理由は明らかになっていない。半世紀以上前の亡命者たちの「現在」は、今も北朝鮮の閉ざされた壁の向こうにある。
🟢 岡本公三:レバノンで政治難民として保護され続け、日本政府の身柄引き渡し要求はベイルート側に拒まれ続けた。そして2026年7月23日、闘病の末に78歳で死去。PFLPやイスラム組織ハマスは彼を「同志」「抵抗の象徴」として追悼した。PFLPは米国とEU(欧州連合)がテロ組織に指定している。
なぜ日本のメディアは多くを語らないのか
🔵 岡本公三の死を、日本の主要メディアは「元日本赤軍メンバー、レバノンで死去」と淡々と伝えるにとどめた。だが海外メディア ―― アルジャジーラ、ワシントン・ポスト、AFP通信などは、彼の事件の詳細、PFLPやハマスの追悼、そして彼が「抵抗の象徴」とされている事実まで報じている。同じ死をめぐって、報じられる情報量には大きな差がある。
🔵 その背景には、加害の歴史を詳しく語ることへの慎重さ、被害者感情への配慮、そして「昭和の負の遺産」に深く踏み込むことをためらう空気があるのかもしれない。しかし、26人が殺され、同志12人が山中で粛清され、一国の首相が「テロに屈した」と評される決断を迫られた ―― この事実の重みは、風化させてよいものではない。語られない歴史こそ、繰り返される危険をはらむ。本稿を「保存版」とする所以である。
まとめ
赤軍派に始まった新左翼の武装闘争は、国内では連合赤軍の同志殺しとあさま山荘事件で自滅し、国外では日本赤軍による国際テロへと変貌した。岡本公三の死は、その半世紀にわたる「赤い系譜」の、最後の当事者の一人が退場したことを意味する。だが、逃亡中の7人と北朝鮮に残る4人がいる限り、この物語はまだ完全には終わっていない。