🟢 米国のルビオ国務長官は2026年8月18日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子(あかね・ともこ)所長を制裁対象に指定したと発表しました。同時に、セネガル出身のアブドライエ・セイエ上級法廷弁護士(シニア・トライアル・ロイヤー)も対象に加えられています。トランプ政権はICCを「主権への脅威」と位置づけ、裁判所そのものを「解体(ディスマントル)」する方針を掲げています。
■ 今回の制裁の要点
🟢 対象は赤根所長とセイエ上級弁護士の2名。米国内の資産凍結と、米国を拠点とする企業・金融機関との取引禁止が科されます。
🟡 米財務省は取引清算のための一般ライセンス(ジェネラル・ライセンス)を発行し、9月17日までの猶予を設定しました。
🟢 米国がこれまでに制裁対象としたICC関係者は判事・検察官あわせて十数人にのぼります。
そもそもICCとはどんな組織?
🟢 国際刑事裁判所(ICC)は、2002年にローマ規程(ローマきてい)という条約にもとづいて設立された、世界で初めての常設の国際刑事法廷です。本部はオランダのハーグに置かれています。国どうしの争いを裁く国際司法裁判所(ICJ)とは異なり、ICCは「個人」の刑事責任を追及する点が最大の特徴です。
🟢 扱う犯罪は、集団殺害(ジェノサイド)、人道に対する罪、戦争犯罪、侵略犯罪の4類型に限られます。加盟国は125か国。ただし米国とイスラエル、ロシア、中国などは加盟しておらず、ここが今回の対立の根っこにもなっています。
🔵 ポイントは「管轄権(かんかつけん)」の考え方です。ICCは、加盟国の領域内で行われた犯罪であれば、たとえ加害者が非加盟国の国民であっても捜査・訴追できるとしています。パレスチナが締約国であることを根拠に、非加盟国イスラエルの高官を対象にできたのはこのためです。米国はこの論理を「主権侵害」だと強く反発しています。
| 項目 | 内容 |
| 設立年 | 2002年(ローマ規程の発効) |
| 本部 | オランダ・ハーグ |
| 加盟国 | 125か国(米・イスラエル・ロシア・中国は非加盟) |
| 扱う犯罪 | ジェノサイド/人道に対する罪/戦争犯罪/侵略犯罪 |
| 特徴 | 国家ではなく「個人」の刑事責任を追及する |
赤根智子所長とはどんな人物か
🟢 赤根智子氏は1956年、名古屋市生まれの日本人法律家です。東京大学を卒業後、1982年に検察官(検事)となりました。当時、女性が活躍できる場が民間には乏しかったこと、そして被害者と加害者の双方に「正義」を届ける仕事に関わりたいという思いから、検察の道を選んだとされます。
🟢 国内では、北海道・函館地検の検事正(2010〜2012年)や最高検察庁の検事などを歴任。法務省では国際協力部(ICD)の部長を務め、国連アジア極東犯罪防止研修所(UNAFEI)の所長も経験しました。2016年からはICC入りまで、日本の国際司法協力担当大使を務めています。
🟢 日本政府の指名を受け、2017年12月に締約国会議でICC判事に選出。翌2018年3月から任期9年の判事に就任しました。そして2024年3月、判事どうしの選挙で第6代ICC所長(プレジデント)に選ばれ、2024〜2027年の任期を務めています。日本人がICCのトップに立つのは初めてのことでした。
| 年 | 経歴 |
| 1956年 | 名古屋市に生まれる |
| 1982年 | 東京大学卒業後、検察官に任官 |
| 2010〜12年 | 函館地検 検事正 |
| 2016年 | 日本の国際司法協力担当大使に |
| 2018年 | ICC判事に就任(任期9年) |
| 2024年 | 第6代ICC所長に選出(〜2027年) |
これまでどんな裁判に関わってきたか
🟢 判事としての赤根氏は、主に予審裁判部(プレトライアル・チェンバー=起訴の可否や逮捕状を審査する部門)に所属してきました。ICCで最も注目を集めた事件のひとつが、ロシアのプーチン大統領に対する逮捕状です。
🟢 2023年3月、ICCはウクライナの子どもをロシアへ不法に連れ去った戦争犯罪の疑いで、プーチン大統領に逮捕状を発付しました。これに強く反発したロシアは同月、赤根氏を含む複数の判事に対して刑事捜査を開始。さらに同年7月、ロシア内務省は赤根氏を指名手配の対象としました。つまり赤根氏は、大国のトップに逮捕状を突きつけた側であると同時に、ロシアから手配される立場にもなったのです。
🟡 赤根氏は日本のテレビ取材に対し、判事個人を狙う意味は薄いという趣旨の発言をしています。「判事の一人が死んでも代わりはいくらでもいる。だから狙う価値はないと思う」という主旨で、報復や脅しに屈しない姿勢を示したものと受け止められています。
🔵 プーチン氏への逮捕状に続き、ICCは2024年、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント前国防相にも、ガザでの戦争犯罪などの疑いで逮捕状を出しました。西側同盟国の現職首脳に逮捕状が出るのはICC史上初で、これが今回の米国による制裁強化の直接的な引き金になっています。所長となった赤根氏は、こうした一連の判断を象徴する「顔」として、制裁の標的にされた形です。
なぜトランプ政権はここまで強硬なのか
🟢 発端は2025年2月6日、トランプ大統領が署名したICC制裁の大統領令(エグゼクティブ・オーダー)です。同令は、ICCがネタニヤフ首相らに逮捕状を出したことを「権力の乱用」と断じ、米国とその同盟国イスラエルを標的にした「不当な行為」だと非難しました。
🟢 トランプ政権の主張は、大きく次の3点に整理できます。第一に、米国もイスラエルもICCに加盟しておらず、その管轄権は及ばないという「主権」の論理。第二に、ICCは政治化しており、公平性を欠くという「偏向」批判。第三に、アフガニスタンでの米兵の行為(2020年に予備捜査が開始)などを念頭に、米軍関係者が訴追の危険にさらされるという「自国民保護」の観点です。大統領令は2002年の米軍要員保護法(アメリカン・サービスメンバーズ・プロテクション・アクト)を根拠に挙げています。
🟡 ルビオ国務長官は今回の声明で、ICCを「腐敗し、致命的に政治化した超国家的裁判所」と呼び、「主権への攻撃は容認しない」と述べました。さらに「米国人が偽りの罪で海の向こうに連れ去られ裁かれることは決してない」と、独立宣言の文言になぞらえて正当性を訴えています。
🔵 背景には、より現実的な事情もあります。米国防長官は2026年8月、中南米での米軍による「麻薬密輸船」への攻撃をICCが捜査する可能性に警戒を示しました。強硬な移民政策や船舶攻撃をめぐって、米軍・政府関係者が将来訴追されるリスクを断ちたい――これが制裁を急ぐ動機のひとつと見られます。
🟢 米国は制裁だけでなく、他国にICCからの脱退を促す外交攻勢もかけています。すでにチャドやベネズエラが脱退方針を表明しており、その背景に米国の影響を指摘する声もあります。一方でICC側は「司法に携わる者が法を適用したことで脅されるなら、危険にさらされるのは国際法秩序そのものだ」と反発し、「我々はひるまない」と声明で強調しました。6月には判事3人が制裁の違法性を訴えてトランプ政権を提訴しています。
ICCの運営資金はどこから来るのか
🟢 ICCの運営費は、加盟国が支払う「分担金(アセスト・コントリビューション)」でまかなわれています。ローマ規程は、各国の分担率を国連(こくれん)の通常予算と同じ方式で決めると定めており、その額はおおむね各国の経済規模(国民総所得=GNI)に比例します。2026年の提案予算は約1億9,700万ユーロ規模。このほか、任意拠出金や、被害者信託基金(トラスト・ファンド)への寄付なども制度化されています。
🟢 ここで日本にとって見逃せない事実があります。米国・中国・ロシアはICCに加盟していないため、経済大国でありながら分担金を支払っていません。その結果、加盟国のなかで最大の拠出国になっているのが日本なのです。
| 順位 | 国 | 分担率(2023年) |
| 1位 | 日本 | 15.9% |
| 2位 | ドイツ | 11.4% |
| 3位 | フランス | 8.5% |
| 4位 | 英国 | 8.2% |
| 5位 | イタリア | 5.9% |
| 6位 | 韓国 | 5.0% |
| 7位 | カナダ | 4.9% |
🔵 日本は2007年にローマ規程へ加盟して以来、一貫して最大の資金拠出国であり続けています。2023年の拠出額は約37億5,000万円。しかも判事も継続して送り込んでおり、その象徴が赤根所長です。つまり日本は「カネも人も」最大級に出している立場。日本人トップが米国の制裁対象になった今回の一件が、日本にとって単なる海外ニュースで済まない理由がここにあります。
🟡 では、米国の制裁はICCの財政をどう揺さぶるのでしょうか。米国は非加盟なので、そもそも分担金を払っていません。したがって制裁で「資金源が断たれる」わけではありません。ところが実害は別の経路で及びます。制裁対象になった判事や職員は、米国の金融システムから締め出され、これに反応した金融機関が国際的な銀行取引そのものを敬遠しはじめるのです。給与の支払いや送金といった日常業務にまで支障が出かねません。
🟢 実際ICCは、締約国会議で認められた予備費(コンティンジェンシー・ファンド)を、制裁関連の「予期せぬ不可避な支出」に充てる可能性があると通告しています。締約国側もこの予備費の枠を増やし、制裁対応への例外的な取り崩しを認めました。加えてICCには、そもそも分担金の支払い遅延・未払いという慢性的な弱点があり(過去には全体の3割超が未納・遅延した年もある)、そこに米国の圧力が重なることで、財政面からじわじわと締め上げられる構図になっています。
🔵 まとめると、制裁の狙いは「札束を止める」ことではなく、「裁判所を国際金融から孤立させ、運営コストを押し上げる」ことにあります。加盟国が資金でどこまで支えるか——とりわけ最大拠出国である日本の姿勢が、ICCの体力を左右することになります。
まとめ
🔵 今回の制裁は、単なる一裁判所トップへの措置にとどまりません。「加盟していない国の主権が国際司法の上に立つのか、それとも国際法秩序が個人の責任を国境を越えて問えるのか」という、戦後の国際秩序の根本にかかわる対立が表面化した出来事です。日本人として初めてICCトップに立った赤根所長がその渦中に置かれたことは、日本にとっても他人事ではありません。今後は米国の脱退外交がどこまで広がるか、そしてICCがどこまで独立性を保てるかが焦点になります。
※ 本記事は Al Jazeera、Reuters、CNN、AFP(France24)、The Hill、Irish Times、米国務省声明、ICC声明などの国際報道・一次情報をもとに構成しています。🟢=複数ソースで確認できた事実/🟡=単一ソースまたは当事者の公式主張/🔵=編集部による分析。