親父は12歳で両親を亡くし、東京で丁稚奉公に出された。
そこから戦争に行った。海軍の看護兵だった。
南方の島から生きて帰って来たが、戦争のことはほとんど語らなかった。
たった一度だけ、酔った晩に、こう言って泣いた。
「俺は仲間を殺してきた」
「引き揚げのとき、歩けない怪我人に空気注射を打たされた」
リュックにペニシリンを詰めて戦地から引き揚げ、母と結婚して開拓地に入り、農業を始めた。
新参者だったが信頼は厚く、病気の人にはただでペニシリンを分け与えていたという。
やがて減反政策が始まり、米を作れなくなった親父は、ある人のツテで僧侶になった。
「殺してきた仲間の顔は、死ぬまで忘れない」
「死ぬまで供養したい」
そう友人に語っていたらしい。
その親父は、1982年、俺が20歳のときに癌で亡くなった。
自分には、戦争のことをほとんど話してはくれなかった。
あれから44年。
手元には、戦地で撮った一枚の、ボロボロになった写真だけが残っている。
語らなかった親父の戦争――20歳で見送った息子が、いま書き残しておきたいこと