中国の全国人民代表大会常務委員会(全人代常務委)は、2026年8月28日、「中華人民共和国国防動員法」の全面改正案を可決した。施行は2026年10月1日。2010年の制定以来、実に16年ぶりの本格的な改正であり、全14章82条という大部の法律です。SNSなどでは「中国が戦時国防法を成立させた」と話題になっていますが、その中身は日本の主要メディアではほとんど詳報されていません。
本稿では、新華社が公表した法律全文(一次情報)にあたり、「この法律が実際に何を定めているのか」を、目的から民間企業への影響まで、条文ベースでわかりやすく解説します。
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まず結論:この改正の3つのポイント
細かい条文に入る前に、今回の改正の要点を先に押さえます。
🟢 ① 戦時になってから
戦時になってから慌てるのではなく、平時のうちに人・物・企業・技術を"いつでも国防に転用できる状態"にしておくための枠組みです。
🟢 ② 軍と地方政府の役割分担を明確化
2019年以降に進められた国防動員体制の改革(省・市・県レベルへの国防動員弁公室の設置など)を、法律に反映させました。
🟢 ③ 先端技術・新興領域を動員対象に
AI(人工知能)、ドローン、ロボティクス、衛星通信といった新しい技術分野の"動員力"を発展させる規定が新設されました。
【重要】これは「戦時専用の法律」なのか?
ネット上では「戦時国防法」と紹介されることが多いですが、これはやや不正確です。
🟢 第2条は国防動員を次のように定義しています。
「国家の主権、統一、領土保全、安全および発展利益が受ける脅威に対応するため、国家が法に基づき必要な措置を採り、平戦(平時と戦時)の迅速な転換を保障し、経済および社会の実力を国防の実力に転化する活動」(第2条・要旨)
つまり本法の核心は「平戦結合(へいせんけつごう)」です。第10条は「組織および公民は平時において法に基づき国防動員の準備活動を完了しなければならない」と明記しており、平時からの準備義務こそが法律の骨格になっています。戦時に発動される「特別措置」や「徴用」は、あくまで平時準備の延長線上にある"スイッチ"の部分にすぎません。
🔵 当サイトの見立て:正確に言えば「戦時法」ではなく「平時から戦時への転換を常時準備しておくための法律」です。この違いは、後述する"民間企業への平時の影響"を理解するうえで決定的に重要です。
法律の目的(第1条)
🟢 第1条が掲げる目的は「国防建設の強化、国防動員制度の整備、国防動員活動の円滑な遂行の保障、そして国家の主権・統一・領土保全・安全および発展利益の擁護」です。
ここで注目すべきは「発展利益(はってんりえき)」という文言です。2010年の旧法にはなかった概念
🔵 米ジェームズタウン財団の分析によれば、中国の用語法において「発展利益」は経済安全保障、資源アクセス、海外資産、技術開発などを含むとされます。領土的脅威だけでなく、より広い"国益全般"へと動員の対象範囲が拡張された、というのが専門家の見立てです。
誰が「動員」を決めるのか(発令の仕組み)
🟢 動員の発令フローは条文で明確に定められています(第13条・第14条)。
| 主体 | 権限 |
| 全人代常務委員会 | 全国総動員または局部動員を決定 |
| 国家主席 | 常務委の決定に基づき「動員令」を発布 |
| 国務院・中央軍事委員会 | 動員の実施を組織。直接的脅威で即応が必要な場合は、常務委への報告を条件に必要な措置を先行可能 |
脅威が消滅した後は、発動時と同じ権限・手続で動員措置を解除する(第19条)と定められています。
全14章の構成マップ
🟢 法律全体の構成は以下のとおりです。ご依頼にあった主要項目(太字)がどこに位置づけられているかを示します。
| 章 | 内容 |
| 第1章 | 総則(目的・定義・原則) |
| 第2章 | 組織指導機構およびその職権 |
| 第3章 | 動員計画・実施予案・潜在力統計調査 |
| 第4章 | 国防と密接に関わる建設プロジェクト・重要製品 |
| 第5章 | 後備兵員の備蓄・召集 |
| 第6章 | 戦略物資の備蓄・調達 |
| 第7章 | 軍需品の研究・生産・修理保障 |
| 第8章 | 戦争災害の予防・救助 |
| 第9章 | 国防勤務 |
| 第10章 | 民用資源の徴収・徴用・補償 |
| 第11章 | 宣伝教育(国防教育) |
| 第12章 | 特別措置 |
| 第13章 | 法的責任 |
| 第14章 | 附則(2026年10月1日施行) |
後備兵員の備蓄・召集(第5章)
🟢 国家は後備兵員(予備の兵力)を備蓄する制度を敷きます。備蓄の形態は「現役部隊への予編」「予備役部隊への編入」「民兵組織への編入」「兵役登記」の4つ(第33条)。規模・種類・方式は国務院と中央軍事委員会が決定します。
動員が決定されると、県級人民政府の兵役機関または部隊が召集通知を出し、通知を受けた者は指定時間に指定場所へ出頭する義務を負います(第35条)。召集予定者は、登記地の兵役機関の許可なく登記地を離れられません(第37条)。この章が、いわゆる"兵役・召集"にあたる部分です。後述する「国防勤務」とは別物である点に注意してください。
戦略物資の備蓄・調達(第6章)
🟢 「政府主導・社会共同構築・多元互補」の戦略物資備蓄体系を構築します(第40条)。企業・事業体・社会組織に対し、実物備蓄の増強、技術備蓄・生産能力備蓄の強化、備蓄タスクの引き受けを奨励・支援するとしています。
動員決定後、戦略物資の調達(調用)は国務院・中央軍事委員会またはその授権機関の承認によって行われます(第42条)。備蓄・輸送・配送を担う企業や個人は、動員決定後は国防動員の需要を優先的に満たす義務を負います(第43条)。
軍需品の研究・生産・修理保障(第7章)
🟢 軍需品(軍事目的の装備・物資・専用生産設備・器材など)の研究開発・生産・修理保障の動員体系を構築します。国務院と中央軍事委員会の関連部門は、軍需品のサプライチェーン(供給網)の安全評価を行い、その強靭性と安全水準を高める措置を採るとしています(第46条)。
注目すべきは、軍民両用技術の活用や軍需品修理保障の社会化(第48条)を明記している点です。動員決定後は、軍需品の研究・転産(民生品生産から軍需品生産への転換)・増産・修理保障のタスクを担う組織が、軍事調達契約に基づき生産・納品を行います。これによって直接的な経済損失を被った組織には補償が与えられる(第49条)と定められています。
戦争災害の予防・救助(第8章)
🟢 軍事・経済・社会目標、および首脳機関などの重要目標を等級別に防護する制度を構築します(第51条)。平戦結合の医療衛生救護体系を整備し、動員決定後は医療機関・人員の動員、医薬品・器材・設備の調達を行って戦時の医療救護・防疫を保障します(第54条)。人員・物資の疎開と隠蔽、負傷者の救護、被災者の安置なども規定されています。
【焦点1】国防勤務は「徴兵」ではない(第9章)
ここが最も誤解されやすいポイントです。結論から言うと、🟢 「国防勤務」は「徴兵(兵役)」とは明確に別の制度です。第57条は国防勤務を次のように定義しています。
国防勤務とは「軍隊の作戦を支援・保障し、戦争災害の予防・救助を担い、社会秩序の維持に協力する任務」(第57条)
つまり国防勤務は、銃を持って前線で戦うことではなく、後方支援・ロジスティクス(兵站)・災害救助・秩序維持といった「支える側」の労務です。兵員としての召集は前述の第5章(後備兵員)であり、両者は別ルートです。
🟢 対象は18〜60歳の男性、18〜55歳の女性(第58条)。ただし以下は免除されます。
| 国防勤務が免除される主な対象(第58条) |
| 保育・幼稚園・児童福祉・高齢者介護・障害者リハビリ・救助管理機関などで管理・サービスに従事する者 |
| 義務教育段階の学校で教育・管理・サービスに従事する者 |
| 妊娠中・産褥期・授乳期の女性 |
| 疾病により勤務不能な者、労働能力を喪失した者 |
| 国連など政府間国際機関に在職し、条約・協定で免除される者 ほか |
なお、特殊な専門技能を持つ人材は、特定の国防勤務については年齢制限を受けないとされています(第58条)。エンジニアや専門技術者は年齢に関わらず動員対象になり得る、ということです。
勤務中は、原職場の賃金・手当・福利が継続して支給され、職場を持たない者には民兵の戦備勤務手当に準じた補助が支給されます。勤務中の死傷には軍人撫恤優待条例に準じた補償があります(第62条)。
【焦点2】民間企業・民間資源はどうなるのか(第10章ほか)
最大の注目点である「民間はどう扱われるか」を、条文横断で整理します。これは第10章の徴収・徴用だけでなく、第4・6・7・9・12章にまたがるテーマです。
◆ 民用資源の徴収・徴用(第10章)
🟢 動員決定後、備蓄物資で動員需要を満たせない場合、県級以上の人民政府は民用資源を徴収(所有権の移転)・徴用(一時的な使用)できます(第63条)。ここでいう「民用資源」とは、組織・個人が所有または使用する施設・設備・交通手段・場所その他の資源を指します。第64条は「いかなる組織・個人も、法に基づく徴収・徴用を受け入れる義務を負う」と定めています。
重要なのは「補償」と「免除」が制度化されている点です。
| 論点 | 条文の内容 |
| 徴用対象外(第65条) | 個人・家庭の生活必需品と居住場所/児童・高齢者・障害者らの生活必需品と居住場所は免除 |
| 返還義務(第67条) | 徴用した資源は使用完了後に返還。改造した場合は原状回復して返還 |
| 補償(第67条) | 毀損・滅失、または徴収・徴用による直接的経済損失には「公平・合理的な補償」を与える |
◆ 特定業種の企業には「平時からの義務」(第60条)
🟢 ここが民間にとって実務上もっとも重い部分です。第60条は、以下の業種の事業者に法に基づく国防勤務を義務づけ、平時から専門保障部隊を編成し訓練・演習を行うことを求めています。
交通運輸/郵政/電信/ネットワーク安全/医薬衛生/食品・食糧供給/工程建築/エネルギー化学工業/大型水利施設/民用核施設/ニュースメディア/国防科学研究生産/市政施設保障 など(第60条)
🔵 当サイトの見立て:つまり通信・エネルギー・物流・メディア・医療といったインフラ系の民間企業は、戦時を待たず"平時から"国防動員体制への組み込みが法的に求められるということです。ジェームズタウン財団も、企業への平時義務は2010年法から存在し今回も維持・強化されたと指摘しています。第4章では、国防と密接に関わる建設プロジェクトや重要製品に「国防機能を具備」させる要求も明記されています(第27条)。
加えて第7条・第8条では、国防動員に密接に関わるデータの収集・利用と、先端技術(AI・ドローン・ロボティクス等)の活用が新たに強調されました。IT・テック企業が保有するデータや技術も、動員の"潜在力"として統計調査・活用の対象になり得る構造です。
宣伝教育=国防教育(第11章)
🟢 公民の国防動員観念と、法に基づく義務履行の意識を高めるための宣伝教育を普及・強化します(第69条)。機関・団体・企業・基層自治組織は、所属人員に必要な国防知識と技能を学習・習得させる義務を負います(第70条)。
また第72条は、動員決定後に権威ある情報の発信・解説を行い、各種伝播プラットフォームを管理し、虚偽の国防動員情報を捏造・拡散する者を処理すると定めています。🔵 これは事実上、有事における情報統制・世論管理の法的根拠と読める規定です。
特別措置(第12章)
🟢 動員決定後、必要に応じて動員実施区域で以下の特別措置を採ることができます(第73条)。
| 採り得る特別措置(第73条) |
| 金融・交通運輸・郵政・電信・報道出版・放送・情報ネットワーク・無線・エネルギー水源供給・医薬衛生・食品食糧供給・商業貿易などの業種への管制 |
| 人員の活動区域・時間・方式、物資・運搬具の出入区域への必要な制限 |
| 機関・団体・企業事業体における特殊な勤務制度の実施 |
| 武装力量への各種交通保障の優先提供 ほか |
今回の改正で新設された歯止め規定が第76条です。「特別措置は必要・合理の原則に従い、状況の変化に応じて適時に調整する」「必要でなくなれば適時に終了する」と明記されました。🔵 無制限の権限ではなく、比例原則的な制約を法文上に設けた点は、旧法にはなかった変化です。
法的責任(第13章)
🟢 義務違反への責任は、主体別に段階的に定められています。
| 対象 | 責任の内容 |
| 公民(第78条) | 召集・国防勤務の拒否/逃避、徴用拒否、虚偽情報の拡散などは期限付き是正命令。従わなければ義務の強制履行 |
| 企業・事業体・社会組織(第79条) | 是正命令+強制履行に加え、罰金を科すことが可能 |
| 責任ある指導者・直接責任者(第80条) | 機密漏洩、命令不履行、職権濫用、動員経費の横領などは法に基づく処分 |
| 共通(第81条) | 治安管理違反は治安処罰、犯罪を構成すれば刑事責任を追及 |
2026年改正で何が変わったのか
🟢 全人代常務委法制工作委員会などの説明と条文を突き合わせると、主な変更点は次のとおりです。
| 変更点 | 内容 |
| 「国防動員」概念の明確化 | 第2条で定義を明記。「発展利益」を保護対象に追加 |
| 先端技術・新興領域 | 第8条で先端技術の応用・新興領域の動員力発展を新設 |
| データ保障制度 | 第7条でデータの収集・利用と安全保障を制度化 |
| 軍地の役割分担 | 2019年以降の体制改革を反映し、軍と地方政府の職責を明確化 |
| 特別措置への歯止め | 第76条で必要・合理原則と適時終了を明記 |
| 章立ての拡充 | 全14章82条へ再編。関連法(国防法・兵役法・予備役人員法など)との整合を図る |
国際的な視点:なぜ今、注目されるのか
🔵 海外メディア(UPI、サウスチャイナ系報道、ジェームズタウン財団など)は、この改正を「民間の産業・技術・人的資源を、有事に迅速に軍事力へ転換する能力の強化」と位置づけています。とりわけAI・ドローン・ロボティクス・衛星通信といった新興技術の動員が明文化された点、そして「発展利益」の追加によって動員の射程が経済・技術・海外資産へと広がった点に注目が集まっています。
🔵 当サイトの見立て:日本の主要メディアは「中国が動員法を改正」と短く報じるにとどまりがちですが、実際に条文を読むと、要点は"戦時に何ができるか"以上に"平時からインフラ・データ・技術・企業をどう動員体制に組み込むか"にあります。台湾情勢を含む地域の緊張の中で、この「平戦結合」の制度整備が持つ意味を、事実に基づいて冷静に見ておく必要があります。
まとめ
🟢 2026年8月28日に全面改正が可決、10月1日施行。2010年以来16年ぶりの本格改正で全14章82条
🟢 核心は「平戦結合」。戦時専用法ではなく、平時からの準備義務が骨格
🟢 「国防勤務」は徴兵ではなく、後方支援・災害救助・秩序維持の労務。徴兵(召集)は別章
🟢 民用資源は徴収・徴用の対象。ただし生活必需品・居住は免除、損失には公平・合理的な補償
🔵 最大の焦点は、通信・エネルギー・物流・医療・メディアなどインフラ系民間企業への"平時からの"組み込みと、データ・先端技術の動員。
【一次情報・主な出典】新華社(法律全文)、中国人大網(国家主席令)、中国国防部、人民網、UPI、China Daily、Jamestown Foundation。本記事は公表された条文と公式発表に基づき、当サイトが独自に整理・解説したものです。訳語は原文の趣旨に沿った編集部訳を含みます。